リブート通信

時に忘れられた珠洲。能登半島地震が照らし出した「消えゆく故郷」の今

これは日本の縮図か ― 災害復興の陰で静かに進行する「忘れられた地」の崩壊

かつて、能登半島の先端に位置する石川県珠洲市は、その隔絶された美しい自然と独自の文化から「隠れ里」のような雰囲気が感じられました。しかし今、その言葉は全く異なる、哀切な響きを帯びてしまいました。2024年の能登半島地震は、この地が社会から「忘れられた存在」になりかねないという、厳しい現実を浮き彫りにしたのです。

その現実を物語るのが、人口の数字です。2025年9月1日、珠洲市の公式な推計人口は、ついに1万人を割り込み9,952人となりました。これは、この地が刻んできた歴史の中で、初めて記録された数字です。しかし、この公式発表ですら、本当の姿を映し出してはいません。

携帯電話の位置情報が冷徹に映し出す「実勢人口」は、わずか8,000人前後。住民票上の人口から約2割、実に2,000人近くもの人々が、実際にはこの地で暮らしていないのです。住民票を故郷に残したまま、しかし生活の再建を叶えられずにいる。この数字の裏には、遅々として進まない復興への焦りと、住み慣れた我が家を離れるという住民一人ひとりの苦渋の決断があります。

問題の根は、単なる人口減少に留まりません。社会の存続そのものを揺るがす構造的な危機が進行しています。高齢化率はすでに50%を超え、集落を支えてきた人々が次々と暮らしの維持を断念しています。さらに深刻なのは、未来を担うべき世代の喪失です。20代から30代の若者は、今や市内にわずか約1,000人、全人口の1割ほどしか残されていません。彼らが未来を描ける場所でなければ、地域の再生はありえないのです。

そして、その静かな崩壊は、ついに最も恐れていた事態を現実のものとしました。「居住ゼロ」、すなわち「消滅集落」の出現です。
地震と豪雨という二重の苦難に見舞われ、インフラ復興の目途が立たないまま、全住民が避難を余儀なくされた真浦町。そこでは、かつての暮らしの音が完全に消え、人の営みの痕跡だけが静かに残されています。

あるいは、仁江町をはじめとする山間の小さな集落では、夜になれば灯りはなく、日中も人影は見えません。家々は残っていても、そこには「暮らし」そのものが存在しないのです。道路の寸断、断水の長期化、土砂災害のリスクといった防災上の課題が、住民の「帰りたい」という切なる願いを阻んでいます。これらはもはや「限界集落」ではなく、地図から消えゆく寸前のかつての場所なのです。

なぜ、これほどの事態に至ったのか。その根は、能登半島地震よりもずっと以前から、この地に張られていました。地理的な不便さゆえに、高度経済成長の波からも、国の主要な政策の光からも取り残されがちだった珠洲市。災害は、その長年抱えてきた社会的な脆弱性を、一気に、そして無慈悲に露呈させたのです。

「隠れ里」という言葉がかつて持っていた、独自の文化や美しい風景といった魅力。しかし、その裏側には常に「社会的孤立」という影が寄り添っていました。珠洲市の復興とは、この影の部分と正面から向き合うことに他なりません。単なるインフラの復旧だけでなく、この地が二度と忘れられることなく、人々が尊厳を持って安心して暮らせる未来をどう描くのか。

珠洲の静かな集落が、その存在をもって問いかけるこの現実に、私たち日本社会はどう向き合うべきなのでしょうか。これは、遠い半島の先端で起きている他人事ではなく、日本人の未来そのものが試されていることなのでしょう。

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