避難所ライフ

私はどこにも行かない、家内とここで暮らす

お忙しい中、珠洲市宝立町避難所の本部長多田進郎さんにご自宅でお話を伺いました。残念ながら多田さんのご自宅も能登半島地震で全壊となりました。
「建坪400㎡はあるでしょ?」「・・・」と正確にはご自分でもわかっていないほど大きな家です。こうしたクラスの大きな家が珠洲市宝立町南黒丸一帯には多く建っていましたが、そのほとんどが崩壊してしまいました。

能登半島地震 テントを張ってアウトドアが楽しめる場所にしてみたい
多田さんに今後についてお聞きすると、この大きな家を復旧させることは考えてない。金沢や浜松にいる孫が遊びに来るから、テントを張ってアウトドアが楽しめる場所にしてみたいとのこと、海側を見せてもらうと家の直前まで津波の後がありましたが、そこには確かに未来を描きたくなる美しい光景がありました。

能登半島地震 アウトドア好きには最高のロケーション
「海まで多田さんの土地ですか?」「そう」「ひやぁー」と、アウトドア好きの私もうらやむような最高のロケーションです。ちなみにホームタイプのアメリカントレーラーハウスが頭に浮かびましたよ。

能登半島地震 海に見えるのは姿を変えた見附島
海に見えるのは姿を変えた見附島です。家の手前まで津波でサーフボードなどが流れて来ていますが、本当にいい景観です。

能登半島地震
「篠原さんは珠洲市に移住して来て・・・」と多田さんは私のことをご存じでした。実は私は4年前に町内会の新年会と思って、市長さんや宝立町区長さんが集まる新年祝賀会に出席。多田さんもそこにいらしゃったそうです。
皆さんに「古民家が好きで・・・どうぞよろしく」とご挨拶。これは珍事だ!移住者だ!と温かい拍手で迎えてもらいました。

あれからまる4年が経ち、能登半島地震で避難所での共同生活という独特なコミュニティが形成されました。同じ境遇での共同生活はまるで巨大家族のようです。しかし、いずれ避難所生活は幕を下ろす日が来ます。避難所生活の先を支えるのはやはり一人一人が自分の夢を信じることだと思います。

能登半島地震 避難所の仕事
長く教育の仕事に携わった多田さんですが、珠洲市宝立町小中学校という場所で避難所の本部長の仕事を引き受けられたのも、縁と考えられたような気がします。
珠洲市宝立町避難所の本部は学校玄関の下足箱の間にあります。

能登半島地震 約240名が身を寄せている珠洲市宝立町避難所
現在約240名が身を寄せている珠洲市宝立町避難所。健康と安全に心を配りながら続く避難所運営に忙しい毎日が過ぎていきます。でも本部長に避難所についてお堅い話を聞いても面白くありません。夢を語ってこそ人はキラキラします。人々が希望を持ち続け、未来に向かって歩み続ける姿勢は、多くの人々に勇気と感動を与えるものです。

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